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  • 執筆者の写真zakura

11/18(sat)~11/20(mon)  山﨑慧一郎 写真展『シーニュの境域』

更新日:2023年11月14日

zakuraでは11月18日(土)~11/20(月)まで山﨑慧一郎による写真展『シーニュの境域』を開催いたします。

zakuraでは3度目の展示。

今回もまた山﨑の放つ独特の世界観が見るものを惹きつけます。

展示内容はあえてここは説明するまでもなく、本人のストレートな言葉から想像していただき、彼の哲学的な思想やアプローチを是非会場で楽しんでください。

皆様のご来場お待ちしております。


山﨑慧一郎写真展 『シーニュの境域』

会期:11/18(sat)~11/20(mon)

時間:11:00~21:00(最終日は18:00まで)

会場:zakura〒150-0033 東京都渋谷区桜丘町14-5-103

問い合わせ:info@zakura.tokyo


< 個展によせて>


「老僧、三十年前、未だ参禅せざる時、山を見るに是れ山、水を見るに是れ水なりき。後来、親しく知識に見えて箇の入処有るに至るに及んで、山を見るに是れ山にあらず、水を見るに是れ水にあらず。而今、箇の休歇の処を得て、衣前、山を見るに祗だ是れ山、水を見るに祗だ是れ水なり」

(『続伝燈』二十二、『五燈会元』十七)


宗教、哲学、言語学など、洋の東西を問わず古くから言語以前の混沌なるものが想定されてきました。言葉は地図に国境を引くようにそれを分割し、切り出したものをほかのものと区別し認識を成立させる機能を担っています。人は観念を言葉とともに獲得する。単にものを表し伝えるアウトプットでなくインプットであるということは、今日では言語の重要な側面と捉えられています。


しかし言語はあくまで記号(シーニュ)であって、その指し示す対象とはまったく別のものであり、両者のつながりは人間のひとりひとりが各々の肉体を通して知るべきものですが、認識が言語によって成されていることに人はあまりに無自覚であり、言語の枠組みにいつの間にか囚われ、その中でしかものごとを認識できなくなってしまう。この人間理性の敗北は、日々膨大な記号による情報ばかりがただ溢れ返る現代においてもはや顧みられることもない、静かで恐ろしい厄災です。


冒頭に据えたのは唐代の禅師青原惟信の言葉で、簡単に訳すならば「修行を始める以前の若い頃、山はただ山、水はただ水であった。やがて師につき修行を重ねると、山は山にあらず、水は水にあらず。悟りを深め安らぎを得た今、かつてと同じように山はただ山、水はただ水である」となります。言語以前の「無名」を求め、深め、そこから己の内面に存在を再構築しようとする禅の姿勢をよく示した名文です。


記号は共有することができるが、存在はただ己の意識の中にあって、他者と分かち合うことができない。うわべの共有に甘んずることなく、孤独を厭わず、記号と認識、意識と存在、それらの境域をめぐる知性と感性の喜びを人の肉体の側に取り戻すこと。それが作家に課せられた使命であると考えます。


<山﨑慧一郎プロフィール>


1979年生まれ。國學院大學文学部哲学科卒。

記号と認識をめぐる観点から2013年頃より写真を独学。小さなモノクロプリントを中心に制作している。現物主義、秘密主義を旨とし、プリント以外の形で作品を公開しない。



2020年11月 個展「無言歌」(ナダール:南青山)

2022年2月 個展「ロカンタンに捧ぐ」(zakura:渋谷)

2022年12月 個展「廻廊にて」(zakura:渋谷)


<web>





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